早世した友の思い出早世した友の思い出ふと、早世した中学時代のクラスメイトを思い出した。 彼女は中学時代は元気なスポーツ少女だったけれど、 成人した頃から「膠原病」に罹った。 彼女とはさほど親しいわけでもなかったので、 彼女の病気のことを知ったのは、何年ぶりかのクラス会の時だった。 幹事だった私に、彼女は電話をくれたのだった。 「退院はしたんだけど、髪は抜けるし歯は抜けるし、肌はボロボロさー。 オバケみたいだからみんなに会うの恥ずかしいんだけど、 みんなに会いたいよ」 私は驚き戸惑いながらも、 「病気のせいなんだもの、恥ずかしいことないよ。 みんなも会いたいと思ってるよ。ぜひ出席して!」と誘った。 クラス会での彼女は、想像していたのとはまったく違って、 昔どおりにとても明るく元気だった。 久しぶりの同級生との再会を、心から喜んで楽しんでいた。 「クラス会が夜で良かったよ。お日様に当たったらダメなんだって。 だから、昼間は外に出られないの。やっぱりオバケだねえ」 そんな悲しいことも、彼女は笑いながら話していた。 その次に彼女の声を聞いたのは、 何年か後のやはりクラス会の出欠の返事だった。 病院からの電話であった。 「今ね、入院中なんだ。だから、残念だけどクラス会には出られない。 でも、みんなに会いたいよー。 会ったら元気になるかもしれないのに、外泊はダメだって」 「早く元気になって、次のクラス会には絶対に会おうね」という私に、 彼女は言った。 「ねえ、私が退院したら、クラス会やってね。約束だよ」 私は、 「うん、わかった。退院したら連絡してね。 遠くの人は無理でも、近くの人たちには声をかけて集めるからね」 と約束したのだ。 それからしばらくして、彼女と親しい友人から退院したことを聞いた。 しかし、まだ体力が戻っていないようなことを聞き、 「じゃあ、外出できるようになったら教えてね」と言って別れた。 彼女本人からの連絡はなく、気になりながらも時は過ぎていった。 そして・・、彼女の死の知らせを受けた。 その時の私の頭の中には、 「私が退院したら、クラス会やってね」という言葉が駆け巡っていた。 葬儀には、多くのクラスメイトが駆けつけた。 病気でも明るく元気にふるまっていた姿や、 「みんなに会いたいよー」と言った声がグルグルと脳裏を駆け巡り、 私は黒枠の写真に向って「ごめんね、ごめんね」と呟いていた。 最後にお棺の中の彼女の顔を見たとき、 私は耐え切れずに涙を流した。 彼女がどんなに友達に会いたいと思っていたのか、 その瞬間に強く感じたのだ。 私自身は、中学時代の同級生に心底から会いたいと思う気持ちは乏しく、 彼女の痛切な願いをわかることができなかったのだ。 それが本当に申し訳なくて、辛くて、苦しかった。 私はその時初めて、彼女と友達になれたのかもしれない。 彼女が私を友達だと思っていてくれたのに、 私は気付いていなかったことを、 こうやって書きながら思い返している。 葬儀から何日か後、私は彼女の夢を見た。 夢の中で私は彼女に謝っていた。 でも彼女はニコニコして笑いかけてくれているばかり。 ふと気付くと、私よりずっと背の高かった彼女が次第に小さくなってゆく。 そして最後には、かわいい赤ちゃんとなってしまう夢だった。 目覚めてから私は、その不思議な夢を思い出し、 (きっと彼女は、私にサヨナラを言いに来てくれたのだ。 クラス会の約束を果たせなかった私に、 「気にしないで」と伝えてくれたのだ。 赤ちゃんになったということは、次の世界に誕生したということだ) と、勝手に解釈して心が少し軽くなった。 彼女は30代になるかならないかで、この世を去らなくてはならなかった。 でも彼女の死は、寿命だったのだと納得できる死だ。 病気というどうにもならない宿命を、 彼女は健気に明るい顔をして受け止め、 私たち同級生それぞれの心に、何かを残していってくれた。 人は誰でも死ななくてはならない。 だからこそ、一回だけの死は大切にしたいと思う。 周囲の人を、憎悪や苦しみの心に巻き込むような死に方はしたくない。 「別れる淋しさや悲しさ」は避けようがないとしても。 (2005年06月26日) |